歴史に学ぶ

一連の社会保険庁の不祥事の責任を取る、ということで、安倍首相が自らのボーナス返納を表明しました。

トップが責任を取るという意味合いが強いのでしょうが、肝心の社会保険庁の職員はというと
自主的な返納を求められただけ。
一般職員で2~3万ほど返納しただけだそうです。

一見安倍首相の行為は美しくも見えるかも知れませんが、果たして首相の行為には効果があるのでしょうか?


ここで有名な中国の故事をひとつ。

出典はかの有名な三国志です。

泣いて馬稷を斬る

蜀の国の宰相、諸葛亮孔明は、とある、重要な戦争で、普段からその才能を評価し目をかけていた
『馬稷』という武将に、戦略上重要な場所を守らせます。

しかし馬稷は孔明の言いつけを守らず、その場所を敵軍に奪われてしまいます。

そのことが蜀軍全体が撤退せざるを得なくなってしまうという、いわば敗戦の原因となってしまいます。

馬稷の才能を惜しむ周りの制止もあったのですが、孔明は涙を流して規則に従い、馬稷を処刑します。

そして孔明自らも、宰相の職を辞任することで敗戦の責任を取った。

最後の、孔明自身が馬稷を起用したことの責任を取って辞任した、という部分はなぜか割愛されがちです。
そのため、「泣いて馬稷を斬る」の故事は単純に「かわいい弟子でも規則に従わなければ処罰しなければならない」という話で終わってしまいがちですが、
馬稷にしっかり責任を取らせ、その上で馬稷を起用した自分も自らを罰する
というところに孔明の公平さ、厳格さがあり、だからこそ孔明は現在まで語り継がれる歴史上の人物になれたのではないでしょうか。



さて、話を現代の日本に戻してみましょう。

前述の通り、安倍首相は、みずから責任を取ってボーナスの返納を表明しました。
しかし、問題を起こした当事者である社会保険庁の職員には、罰を与えるどころか「自主的な返納を」と呼びかけただけです。
自主的に、ですから罰ではありません。

つまり孔明の例で言うと、肝心の馬稷を罰していない。

これでは安倍首相のボーナス返納はただの「かっこつけ」に過ぎず、信賞必罰になりません。
社会保険庁職員が「しょうがないな~」とポーズを取っている様が目に浮かぶようです。
なかには「オレは何もしていないのに、なんでオレまで返納しなきゃならないんだ?」などと思っている職員もいるでしょう。

しかし、これで国民は納得するのでしょうか?


安倍首相の政治構想「美しい国」とは、安倍首相の体裁だけが美しく見えればそれで良いのでしょうか?